クロキメモ

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読んだ本05-タモリ学

 

タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?

タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?

 

 僕はテレビをほとんど見ない。そもそも僕が小さい頃は実家のリビングでテレビがついているという状況が殆どなくて、習慣としてテレビ鑑賞を会得していないのだ。唯一小学3・4年生のときにポケモンのアニメだけは「これはマズイぞ」と思い見させてもらう事になったけれど、以降、ドラマの話題など1ミリも参加せずに生きてきた。(思えばテレビを含めた映像の仕事を今やっているのは、相当に不思議な生き方をしている)。

そんな僕でも知っているタレント、タモリ

氏に対するイメージは友人たちの語る「ミュージックステーション」「タモリ倶楽部」「笑っていいとも」の話から掴んでいると思っていた。飄々と人の話を聞くのが上手くて、好きな事についてはやけに詳しい好々爺的な男。恐らくそこまでタモリに心酔していない限り、僕と同世代の人の大多数が持つイメージはこんな所だと思う。テレビを見ていない僕は自分の感情と共にタモリと接しておらず、漠然とした「大衆」が抱くイメージを収集しただけで、だからこそタモリという男を俯瞰で見れていると自負していた。

ところがこの本を読むと、そのイメージは崩壊した。いや、正確には上であげたタモリ像は合っていた。けれどその奥行き、そこに至る過程や思考が全然違った。このオッさんハチャメチャじゃねーか。本文を引用すると

「俺の本当の芸は、なりすましってやつだよ」 

これに尽きる。国民の全てが知っている(少なくとも僕ですら知っている)立場で本質を隠すというのは、これは確かに芸としか言いようが無い。少し、タモリをテレビで見てみたいと思った。